「マトリックス効果」の3回目です。イオンクロマトグラフィによるナトリウムイオンとアンモニウムイオンの分離について、ご隠居さんがわかりやすく解説しています。
シーズン4 その貳拾壱(二十一)
こんにちはぁ~。今回はマトリックス効果の3回目です。前回はマトリックスによる溶出時間への影響と検出への影響についてお話ししました。そして,その対策としては「分離を改善すること!」が基本であることをお話ししました。
ピークの重なり合いによる定量精度の低下は,所謂マトリックス効果とは呼ばないんですが,イオンクロマトグラフィの測定対象となる試料中には,濃度が大きく異なる多種多彩なイオンが含まれていますので結構重要な問題です。このことは,この『ご隠居達のIC四方山話』で何度もお話しておりますが,近接して溶出する濃度差が1000倍以上もある2成分を分離しろなんて要求が多々あります。流石に,濃度差が1000倍以上となると「分離を改善すればいいんですよ!」なんて気楽に言えません。かなりの工夫がいるんです。
前回は塩化物イオンと亜硝酸イオンとの分離でしたが,今回はナトリウムイオンとアンモニウムイオンとの分離の話をします。このテーマは既に何回か書いていますが,結構ニーズがありますので再登場ということにします。
さて,ナトリウムイオンやアンモニウムイオン等の陽イオンの分離は,陽イオン交換樹脂が充填された分離カラムにより達成されます。陽イオン交換樹脂は陽イオンを捕捉する負の荷電を持つ官能基 (イオン交換基) を備えており,分離カラムに注入された試料溶液中の陽イオンを捕捉します。その後,溶離液によって脱離されます。この捕捉・脱離が繰り返されて分離が行われるのですが,イオン交換樹脂 (イオン交換基) に親和性の高いものほどイオン交換樹脂に長く捉まっているため,親和性の低いものよりも遅れて分離カラムから溶出してきます。
この陽イオンの親和性 (捕捉性) の順序 = 溶出順 ってのはイオンの性質によって決まっています。下記の通り,周期表の周期順に溶出して逆転することはありません。
❑アルカリ金属イオン: Li+ < Na+ < K+ < Rb+ < Ce+
❑アルカリ土類金属イオン: Mg2+ < Ca2+ < Sr2+ < Ba2+
同族イオン間で親和性の順序が変化しないというのは陰イオンでも同じて,ハロゲンイオンの溶出順は F– < Cl– < Br– でこれも周期表の周期順に従っています。一方,亜硝酸イオンと硝酸イオンは NO2– < NO3– でこれも順序が逆転することはありません。しかし,ハロゲンイオン,亜硝酸イオンと硝酸イオン,さらにリン酸イオン,硫酸イオンが混ざってくると,単原子イオンやオキソ酸イオン等,それぞれのイオンの特性が異なりますので,分離カラムの基材やイオン交換基の構造が変わると溶出パターンや溶出順序が変化します。ところが,陽イオン分析で測定対象となる主なイオンは単原子イオンですので,溶出順序の変化は期待できません。また,陰イオン交換樹脂では陰イオン交換基の種類が多彩ですが,陽イオン交換樹脂にはスルホ基とカルボキシル基しかありませんので,分離の調節なんてのはとんでもなく難しいのです。
チョイと前置きが長くなりましたが,陽イオンの分離にはスルホ基あるいはカルボキシル基を持つ陽イオン交換樹脂 (スルホン酸型とカルボン酸型) が用いられます。図21-1に,代表的なクロマトグラムを示します。共に同じ溶離液 (5 mM HNO3) での分離例なのですが,ずいぶん様相が異なっていますね。左のスルホン酸型陽イオン交換樹脂のクロマトグラムには,アルカリ土類金属イオンが含まれていません。スルホン酸型陽イオン交換樹脂はアルカリ土類金属イオン対する選択性が非常に高く,5 mM HNO3では溶出されません。つまり,アルカリ金属イオンとアルカリ土類金属イオンの同時分析ができないということです。
ということで,近年ではもっぱらカルボン酸型陽イオン交換樹脂が用いられています。
さて,本題のナトリウムイオンとアンモニウムイオンとの分離ですが,図21-1で判るように,アンモニウムイオンはナトリウムイオンの直後に溶出します。前回お話しした塩化物イオンと亜硝酸イオンとの分離と同様ですが,ナトリウムイオンとアンモニウムイオンの分離度は塩化物イオンと亜硝酸イオンの分離度よりも低いので分離はより困難になります。一般に,水試料中のナトリウムイオンとアンモニウムイオンの濃度比は 100:1 ~ 1000:1 ですので,巨大なナトリウムイオンのピークに重なってアンモニウムイオンの面積値 (= 定量値) が過小評価され,時には見えなくなってしまうこともあります。
図21-2に,高濃度ナトリウムイオンを含む試料中の極微量アンモニウムイオンの測定例を示します。実試料では,アンモニウムイオンは不完全分離ながらなんとかピークが検出されています。この時のナトリウムイオン濃度は定量していませんが,数十ppmレベルで1000:1位の濃度差です。アンモニウムイオンの定量値はかなり過小評価されていると思えますが,標準液との比較から大凡20 ppb (µg/L) と推定されます。何とか数値化できているようなんですが,前回の亜硝酸イオンの結果を見てもらえばお判りのように,もっと分離を良くしないと定量値は怪しいですよね。
前回の塩化物イオンと亜硝酸イオンとの分離では,分解能の高い分離カラムに変えて分離を改善しました。今回もこの手を使ってみましょう。図21-3に,図21-2で用いたMetrosep C 4のクロマトグラムを示します。カラム長さを250 mm (Metrosep C 4-250) にすると分析時間はカラム長さに比例して長くなりますが,明らかに分離は改善されます。
図21-4に,Metrosep C 4-150とMetrosep C 4-250を用いた高濃度ナトリウムイオンを含む試料中のアンモニウムイオンの分離例を示します。基本的な分離パターンは同じですが,Metrosep C 4-250に変更したことにより,測定対象であるアンモニウムイオンとナトリウムイオンとの分離は向上しています。この試料の濃度比は1000:1ですが,これだけ分離していれば定量精度も十分確保されていると思います。この分離状態であれば濃度差がもう少しあっても定量ができそうです。
図21-4ではMetrosep C 4-250を用いた分離例を示しましたが,濃度差が5000:1以上のナトリウムイオンとアンモニウムイオンとを分離したいという要求も結構あります。さらなる分離の改善が必要になります。Metrosep C seriesには,Metrosep C 4の2倍の陽イオン交換容量を持つMetrosep C 6があります。図21-5にMetrosep C 4-250及びMetrosep C 6-150による標準陽イオンのクロマトグラムを示します。図で判るように,Metrosep C 6-150を用いれば,ナトリウムイオンとアンモニウムイオンとの分離をさらに改善することができそうです。
最後になりますが,図21-6に,Metrosep C 6-250を用いた濃度差が約16700倍もあるナトリウムイオンとアンモニウムイオンの分離を示します。ここでは,カラム長さ250 mm のMetrosep C 6及びMetrosep C 6の標準溶離液である1.7 mM nitric acid/1.7 mM dipicolinic acid (DPA) を用いて分離を行いました。とんでもない濃度差ですけど,十分に定量が可能ですね。昔の技術じゃ到底できそうもない芸当ですな。
今回は,前回の引き続きで,高濃度成分の直後に溶出する微量イオンの分離についてお話ししました。イオンクロマトグラフィの試料の特徴の一つとして,共存成分 (マトリックス) 間の濃度差が大きいということがあります。その結果として,ピークの重なりやピークの変形,そして溶出時間の変動が生じます。この巨大ピークによる干渉の問題は,イオンクロマトグラフィにおける重大なマトリックス効果だと思います。
次回も分離検出に関わる話をしようかと思っています。それでは,また・・・
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