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IC四方山話の最終回になります。マトリックス効果の13回目となり、前処理,特にインライン前処理による妨害マトリックスの除去の話の最後は「透析 (ダイアリシス)」のお話しです。

シーズン4 その参拾壱(三十一)最終回

 

 

皆さん,こんにちはぁ~。お変わりないですか?

当方は,チョイとだけですが気合が入っています。何故かって?まぁ,大した理由ではないんですが,本コラムが今回で一区切りなんですよねぇ。今回限りで止めちゃうのかって?いいえ。区切りったって,測定の妨害となるマトリックスの除去対策に関しての話が一応一区切りなんですな。トラブル対策の成否判定はシステム評価ですんで,私個人としては,この後に評価・判定に関する話を数回書きたいんですが・・・。

ということで,前処理,特にインライン前処理による妨害マトリックスの除去の話の最後は「透析 (ダイアリシス)」の話です。

 
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「透析 (ダイアリシス,dialysis)」っていうのは,膜を介した分子の移動のことです。一般に,微細な穴を持つ膜を隔てた2つの溶液間での濃度差による物質の移動を透析というんですが,他の透析方法と区別するため,この濃度差を透析力として用いるものは「拡散透析」と呼ばれています。この他,電位差を用いるものは電気透析,温度差を用いるものは熱透析といいます。拡散透析は古くから生化学・分析化学で使用されてきた分離・精製技術ですが,皆さんが時々耳にする人工透析 (血液透析) も拡散透析の技術を利用しています。

透析膜には,コロジオン膜やセロファン膜等の低分子を通すけれども,高分子を通さない半透膜がよく用いられており,タンパク質溶液の精製のための脱塩 (塩分除去) 等に利用されています。ちなみに,人工透析 (血液透析) には再生セルロース等の半透膜が用いられています。

拡散透析の概念を図31-1に示します。多孔質膜 (透析膜) で区切られた片側の部屋に試料溶液を入れ,反対側の部屋には純水 (透析液) を入れたとしましょう (図31-1 a)。イオンのような拡散速度の大きい低分子 (●,◆) は膜の細孔を通過して純水のほうに移行します。しかし,拡散速度の小さい中分子 (¬) や高分子 (ð) は抵抗があって細孔内に入れません。結果として,透析膜を通過できる低分子だけを透析液側に移行させることができるのです (図31-1 b)。

ここで,拡散透析を発現させるエネルギー源は濃度差であることを思い出してください。透析膜を通過できる低分子は,濃度の高い試料溶液から濃度の低い透析液側に移行するんです。つまり,両部屋の濃度が同じになれば透析力はなくなりますので,透析完了後の試料溶液と透析液中の低分子濃度は同じになります (図31-1 b)。

図31-1 拡散透析の概念
 

図31-1 bで示した通り,静止状態で透析すると,取り除きたい (取り出したい) 低分子の濃度は試料溶液の½以上には上がらない ≈ 取り除きたい (取り出したい) 低分子を試料溶液から完全になくすことができない,ということです。

このような場合,一定時間経過後に新鮮な透析液に交換する,あるいは大量の透析液を用いる,といった方法で対応することが可能です。塩分等の低分子が取り除かれた試料溶液を得ることが目的であればこの方法で対応可能です。しかし,抜き取ったほうのイオン等の低分子を分析対象とする場合には,それらの濃度が試料溶液よりもはるかに低くなってしまいます。試料溶液を高度希釈しなければならないような場合ならともかく,測定対象イオン濃度が試料溶液よりも低下してしまうというのではイオンクロマトグラフィの前処理には利用できません。

ところで,透析液は静置状態で片側の部屋に閉じこめておいたまま,試料溶液を流し続けるとどうなるでしょう (図31-1 c)。試料溶液をどれだけの量,どれだけの時間流すかは後にして,最終的には濃度平衡に達しようとしますので,透析液中の低分子濃度は試料溶液中の濃度と同じになりますよね。この方法を用いれば,試料中のイオン等の低分子を希釈することなく抽出できます (図31-1 c)。但し,試料溶液が沢山必要になるという問題がありますけど,,,,

図31-2に,メトロームのダイアリシスセルの外観及び構成を示します。ダイアリシスセルは2つのブロックからなっていて,それぞれ対向するように渦巻き状の溝 (流路) が彫られています。流路の容量は約240 µLです。透析膜としては,通常セルロースアセテート製メンブレンフィルタを用い,2つのセルブロックで挟み込みます。図31-1 cで示したように,渦巻き状の流路の片側に純水を入れて封入し,他方の流路に試料溶液を0.3 ~ 0.6 mL/minで流します。食品抽出液等の試料溶液からのイオンの抽出は,10 ~ 20 min完了しますので,試料溶液は15 mLもあれば十分です。透析終了後には,両方の流路に純水を通液して洗浄すれば,繰り返し使用が可能です。

尚,陽イオンを透析によって取り出すには,弱酸性の透析液 (1 ~ 2 mM HNO3等) を用いることで抽出効率を改善できます。また,有機性イオンの抽出には透析液に有機溶媒を添加します。この場合,添加する有機溶媒の性質によりメンブレンフィルタが溶けてしまう場合もありますので,適切な材質のメンブレンフィルタに交換して測定を行ってください。セルロースアセテート製メンブレンフィルタの他,ナイロン製や親水化フッ素樹脂等のメンブレンフィルタを使用できます。

図31-2 ダイアリシスセルの外観と構造
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インラインダイアリシスシステムの能力を,ビール中の陰イオンの測定で評価してみました。ビールは純水で25倍希釈し,サンプルプロセッサにセットして連続測定を行いました。図31-4に,インラインダイアリシスシステムを用いたビール中の陰イオンのクロマトグラムを示します。塩化物イオン,硝酸イオン,リン酸イオン及び硫酸イオンが検出されました。これらの他にいくつかの小さなピークが検出されましたが,主な陰イオンの測定の妨害とはなりませんでした。但し,フッ化物イオンのところにもピークは検出されていますが,有機酸イオンと推定されるピークと重なっていると思われ定量はできませんでした。尚,クロマトグラム中の数値は希釈前のビール中の濃度に換算した値です。

図31-4 インラインダイアリシスシステムによるビール中の陰イオンの測定

上記条件で6回測定を行った時の測定値,添加回収率,定量値及び繰り返し再現性を,表31-1にまとめました。添加回収率は,直前に同程度高さの未知ピークが検出されている硝酸イオンは74%と若干悪い値でしたが,他のイオンは95%以上と良好な結果でした。また,繰り返し再現性は,すべての陰イオンで1%以下と非常に良好な結果でした。これは,透析により種々のマトリックス成分が除去できているため,精度良く測定できたものと思います。

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インラインダイアリシス法によるマトリックス除去が有効であるということがお分かりいただけたと思いますので,幾つか実試料のデータをお見せいたします。

図31-5は,インラインダイアリシスシステムによるオレンジジュース及び牛乳中の陽イオンの測定例です。果汁では色素や繊維分,牛乳では乳脂肪や乳蛋白が妨害成分となりますので,希釈しても直接分離カラムに注入することはできません。そこで,それぞれの試料を純水で5倍希釈し,ダイアリシスセルに通液しました。ここでは,金属イオンの透析効率を高めるため,透析液には2 mMの硝酸を用いました。オレンジジュースでは6種,牛乳では5種の陽イオンが検出されました。クロマトグラム上の数値は希釈前の元液中の濃度で,単位はmg/Lです。図31-5の2つのクロマトグラムで,カルシウムイオンのピーク形状及び溶出時間が異なっていますが,これは「第玖話 溶出時間の変動 -2」の図9-1でお見せした試料濃度による溶出時間変動で,イオン交換容量の高い分離カラムに変更することで解消可能です。また,透析に供する試料の希釈倍率を高くすることでもある程度の対応が可能です。

図31-5 インラインダイアリシスシステムによるジュース及び牛乳中の陽イオンの測定

図31-6に,ソーセージ中の陰イオンの測定例を示します。ソーセージは包丁で微塵切りにした後,その5 gに純水/エタノール (4:1) を加えてホモジナイズし,水で全量を100 mLにして,遠心分離器にかけました。遠心分離後の上澄を透析にかけました。亜硝酸イオンと硝酸イオンの定量精度を高める目的から,紫外吸収検出器UVDを併用して測定しました。実際,電気伝導度検出では亜硝酸イオンには高濃度の塩化物イオンが重なっていますが,紫外吸収検出器を用いることで塩化物イオンの妨害をほぼ解消することができました。亜硝酸イオン及び硝酸イオンの繰り返し再現性 (RSD,n=10) は,電気伝導度検出ではそれぞれ4.92%及び3.30%,紫外吸収検出ではそれぞれ1.57%及び2.43%でした。

一般に,亜硝酸イオン及び硝酸イオンは吸光光度法で測定されることが多いため,吸光光度法とインラインダイアリシス–イオンクロマトグラフィとの相関を調べてみました。試料点数が9点と少ないのですが,亜硝酸イオン及び硝酸イオンの決定係数R²はそれぞれ0.979及び0.927と良好な相関を得ることができました。

図31-6 インラインダイアリシスシステムによるソーセージ中の陰イオンの測定
 
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最後になりますが,冷却循環水中の陰イオンの測定にインラインダイアリシスを用いた例をお示しまします。冷却用の循環水 (クーラント) の成分としてはエチレングリコール類等がよく使われているようですが,その他に防錆剤や染料等が添加されています。これらの成分による妨害を防ぐため透析処理を行いました。試料は純水で10倍希釈しました。結果を,図31-7に示します。有機酸類と推定されるピークがいくつか検出されましたが,大きな妨害ピークはなく安定して定量することができました。また,紫外吸収検出器を併用しましたが,亜硝酸イオン及び硝酸イオンの定量値は電気伝導度検出器で定量した値とほぼ一致しました。

図31-7 インラインダイアリシスシステムによる冷却循環水中の陰イオンの測定
 
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「ご隠居達のIC四方山話 シーズン-IV」では「トラブル」を眼目として,前半部:「第貳話」~「第拾捌話」では装置や測定条件等に基づくトラブルについて,後半部:「第拾玖話」~「第参拾壱話」では試料溶液やアプリケーションのほうに視点を移し,主にマトリックスによる妨害とその解消法について話をしてきました。話しそびれた細かな補足話も種々あるのですが,とりあえず今回のインラインダイアリシス法で何とか一段落ですな。若干ほっとしています。

さて突然ですが,「ご隠居達のIC四方山話」は今回をもって閉幕とさせていただくこととなりました。皆さんに伝えておかねばと思うことは多々あるのですが・・・

今や “AI” の時代です。分析化学だって同様です。勘や経験,さらにはノウハウなんてものに振り回されてしまう時代は収束するんですな。誰がやっても,正確で,かつ精度よく,良好な再現性を持って信頼できるデータが得られるようになってくるはずです。けど,その達成には,コツコツとやり続けて蓄積された先人達の勘,経験,ノウハウを解析して活用しなければいけないのではと思うのですが・・・。これらを有効活用するための「アーカイブス (archives)」構築が重要ですかね?

さて,これからは本格的なご隠居です。のんびり過ごさせていただきます。皆さんは依然として仕事に追われる毎日かもしれませんが,お体だけはお気を付けください,皆さんのご健康並びに飛躍・発展を期待しております。長年に亘り,ご愛読の程誠にありがとうございました。

令和6年10月吉日

 

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