イオン排除クロマトグラフィは、有機酸や無機弱酸の分離、測定において、とても有用です。今回はご隠居さんが「イオン排除クロマトグラフィ」について、詳しく解説しています。
シーズン3 その拾弐(十二)
「こんにちはぁ~。あっ!泰さん。今日もよろしくお願いしますよ。ところで,いつ帰ったの?」
「ご隠居さん,こんにちは。こちらこそよろしくお願いします。スイスですか?一昨日帰ってきたんですけど,まだ少しボケていますね。」
「時差ぼけですかぁ~。私は飛行機嫌いだからよほどのことが無きゃ飛行機には乗らないけど,良くまぁ何時間も乗っていられるねぇ~。」
「そうでしたね。けど,最近の飛行機は結構快適なんですよ。まぁ,慣れってのもあるかもしれませんけどね。ところで,来て早々で申し訳ないんですけど,始める前にチョット相談に乗ってください。」
「いいけどね。泰さんの相談ってのは結構厄介なことが多いからねぇ~。」
「そんなことはないですよ。今日はご隠居さんの得意な話ですよ。実は,最近有機酸絡みの話が結構あるんですよ。有機酸そのものの測定というのもあるんですけど,有機酸濃度が高い試料中の陰イオン測定とかなんです。」
「やはり,難しい話じゃないですかぁ~。有機酸って,前の方かい,後ろの方かい?」
「酒石酸やコハク酸ってのもあるんですけど,フッ素と塩素の間ってのが多いですね。」
「前の方ですか。グラジエント溶離を用いれば一斉分離ができますけど,濃度が高いと厄介ですな。グラジエント溶離だと初期濃度が低いでしょ。有機酸自身が溶離液的に働いて再現性が確保できないかも…。同時測定をするなら,イオン排除と組み合わせたカラムスイッチングなんですけど…。若干,装置は複雑になりますけどね。」
「そうなっちゃいますかぁ~。清さんにも聞いたんですが,カラムスイッチングかなぁ~,なんて言ってましたけどねぇ~。」
「そうでしょうね。けど,まずはグラジエント溶離で挑戦してみてくださいな。どうしてもうまくいかなかったら,イオン排除と組み合わせたカラムスイッチングですね。ところで,今日からイオン排除の話なんですよ。そろそろやりますんで,喬さんを呼んできてくださいな。泰さんも一緒に聞きますかね?」
「判りました。宜しくお願いいたします。」
さて,今回からはイオン排除クロマトグラフィに関する話です。
ここまで,イオン交換クロマトグラフィによる陰イオンと陽イオンの分離の改善に関して話をしてきました。比較的解離度の高い無機イオンを測定対象としてきましたけど,イオン交換クロマトグラフィでは解離度の低いイオンはどのような挙動を取るでしょうか?そうです。イオン性が低いので,分離カラムには強く保持されることなく,早く溶出してしまいますね。
解離度の低いイオンの内,イオンクロマトグラフィの測定対象として重要なのは有機酸ですね。有機酸もプロトンを放出する性質がありますので歴とした陰イオンで,陰イオン分離カラムに保持されます。例えば,身近な試料中に存在する酢酸やギ酸はフッ化物イオンと塩化物イオンの間に溶出しますね。ということで,有機酸もイオン交換相互作用で分離することが可能です。しかし,さらにほかの有機酸が混在したらどうしましょう。例えば,酢酸やギ酸の他に,プロピオン酸,グリコール酸,乳酸なんかが共存していたら,標準溶離液では分離することはできません。
この対策として,グラジエント溶離法 (シーズン-III 肆 溶離液組成による分離の調節参照) や異種カラムの接続 (シーズン-III 睦 有機溶媒の添加による分離の調節参照) といった方法を用います。これらの方法は,有機酸と無機陰イオンの同時測定法として非常に有効な方法なんですが,有機酸だけを分離・測定する場合には分析時間が長いため汎用的ではないかもしれません。
そこで,有機酸だけの分離・測定には,イオン排除クロマトグラフィ (Ion Exclusion Chromatography: IEC) を用います。イオン排除クロマトグラフィでもイオン交換樹脂が用いられますが,有機酸 (陰イオン) の分離に,陰イオン交換樹脂ではなく陽イオン交換樹脂を用います。ピンと来ないかもしれませんので,まず陽イオン交換樹脂における水溶性有機化合物の保持挙動を見てみましょう。
図12-1は,スルホン酸型陽イオン交換樹脂 (対イオンH+型) を充填したカラムを用いて,いくつかの水溶性有機化合物を測定した時のクロマトグラムです。溶離液には0.1% H3PO4 (10.2 mM H3PO4) を用いて,示唆屈折率検出器 (RID) を用いて測定しました。ポリエチレングリコール (PEG) が重合度の高いほうから,糖類は分子量の大きいものから溶出しています。所謂サイズ排除クロマトグラフィ (Size Exclusion Chromatography: SEC) で分離しています。一番下のアルコール類は溶出時間が大きいのですが,分子の小さい (アルキル鎖の小さい) ものから溶出しています。肝心の有機酸はというと,ギ酸以降の一塩基酸はアルコール類と同様にアルキル基の大きさ順で溶出していますが,全体で見てみると分子量やアルキル基の大きさ順で溶出しているのではありません。
図12-2は,図12-1の有機酸のクロマトグラムを拡大したものですが,保持挙動を考えるため右側に各有機酸の酸解離指数 pKa と水への溶解性 (逆に見れば疎水性) を示すパラメータである水-オクタノール分配比 Log Pow を示しました。何となくわかりますかね?概ね,2つの物性値に従って溶出していますね。酸解離指数 pKa ではコハク酸とギ酸のところで逆転していますが,水-オクタノール分配比 Log Pow の小さいコハク酸のほうが早く溶出しています。水-オクタノール分配比 Log Powで見てみると酒石酸とリンゴ酸のところで逆転していますが,酸解離指数 pKa の小さい酒石酸のほうが早く溶出しています。イオン排除クロマトグラフィでは酸解離指数 pKa と水-オクタノール分配比 Log Pow とに従って溶出順が決定されていると考えることができます。
図12-3に,イオン排除クロマトグラフィにおける保持機構 (溶出挙動) をまとめました。水-オクタノール分配比 Log Pow が “< 0“ の有機酸の場合には,酸解離指数 pKa の小さい順に溶出します。分離剤は陰イオン性のスルホ基を持つ陽イオン交換樹脂ですので,陰イオン同士の反発 (排斥) の強さの違いで分離されているということで,イオン排除クロマトグラフィと呼ばれています。一方,水-オクタノール分配比 Log Pow が “> 0“ の有機酸の場合には,水-オクタノール分配比 Log Pow の小さい順の溶出しており,疎水性の強いものほど遅く溶出するものと判断できます。
スルホン酸型陽イオン交換樹脂における有機酸の溶出挙動についてもう少し捕捉しましょう。
充填剤には多くの孔 (細孔) が存在していることはご存知だと思います。この細孔も分離に寄与しています。図12-1~3のクロマトグラムは,リン酸や過塩素酸の希薄な水溶液を溶離液にしています。酸ですから酸性です。酸性条件下では,有機酸の解離は抑えられています。スルホン酸型陽イオン交換樹脂の表面は強い負電荷を帯びていますので,有機酸は本質的に反発するのですが,解離抑制される (イオン性が低下する) と図12-1のポリエチレングリコール (PEG) や糖類のように細孔内に入り込む (浸透する) ことができます。この細孔内への浸透度合いの差によって分離が行われるのです。当然ですが,浸透度合いは酸解離指数 pKa に依存しますので,酸解離指数 pKa の大きい有機酸ほど最高の奥まで浸透して遅く溶出してきます。さらに,酸解離指数 pKa の大きい有機酸ほど細孔内に浸透できるということは,基材樹脂との相互作用を長い時間受けるということにもなります。一般にスルホン酸型陽イオン交換樹脂の基材樹脂はポリスチレンですので,疎水性を示す有機酸は疎水性相互作用が加味されて分離されるということになります。
若干複雑なようですが,イオン排除クロマトグラフィにおける溶出挙動は酸解離指数 pKa と水-オクタノール分配比 Log Pow とに従い,これら2つの物性値のバランスで溶出順が決定されます。水-オクタノール分配比 Log Pow が “< 0“ の有機酸については,概ね酸解離指数 pKa の小さい順に溶出します。図12-4に,酸解離指数 pKa と溶出容量との関係を示します。●及び▲印の有機酸は点線上に乗っており,酸解離指数 pKa が支配的だということが判ると思います。一方,プロピオン酸以降の有機酸は水-オクタノール分配比 Log Pow が “> 0“ ですので,疎水性相互作用が加味されているため点線から大きくずれています。
ここで,もう一つ考えてみましょう。有機酸は所謂弱酸です。無機イオンにも,炭酸やホウ酸などの弱酸はあります。イオン排除モードの相互作用は主に酸解離指数 pKa に依存しますので,これらの無機弱酸もイオン排除カラムに保持されます。一方,無機強酸は陽イオン交換樹脂との反発が強いためにイオン排除カラムには保持される (充填剤の細孔内に浸透する) ことはなく,一番最初 (ボイドボリューム: カラム充填剤の隙間の空間容量) にまとまって溶出します。
図12-4に,無機イオンの溶出容量を◆印でプロットしておきました。図中の点線に乗らない無機弱酸もいくつかありますが,無機弱酸の溶出挙動はカラム充填剤である陽イオン交換樹脂のイオン交換容量,細孔径,架橋度等によって変化し,無機弱酸と有機酸との溶出位置の相互関係が逆転する場合もあります。従って,実際に使用する分離カラムを用いて無機弱酸の溶出位置を事前に確認するようにしてください。
図12-5に,イオン排除クロマトグラフィによる廃水中の有機酸の測定例を示します。廃水は0.45 µmのメンブランフィルタでろ過した後,分離カラムに注入しました。図12-5左は,標準液のクロマトグラムです。この廃水試料中からは,炭素数5の吉草酸や炭素数6のカプロン酸 (ヘキサン酸) のような疎水性の高い有機酸も検出されました。ここでは0.5 mM HClO4を溶離液としていますが,溶離液に有機溶媒を添加することにより疎水性有機酸の溶出を早めることができます (第拾参回で記述)。
イオン排除クロマトグラフィで分離した有機酸の検出には,電気伝導度検出器や紫外吸収検出器 (検出波長: 210 ~ 230 nm) が用いられます。イオン排除クロマトグラフィにおける分離条件の設定及び分離の改善に関しては次回以降に記述しますが,イオン排除クロマトグラフィで用いる溶離液は硫酸や過塩素酸の希薄溶液です。溶離液の酸濃度は0.2 ~ 10 mMですが,電気伝導度検出をする場合には,バックグラウンド電気伝導度を抑えるため0.2 ~ 2 mMで使用します。溶離液として0.5 mMの硫酸を用いた場合のバックグラウンド電気伝導度は約220 µS/cmもありますので,高感度検出をするには半分以下にしたいですね。
そこで,イオン排除モードでもサプレッサを使用します。イオン排除用のサプレッサは陰イオン分析用と基本的に同じで,陽イオン交換樹脂を充填したものです。しかし,対イオンはLi+型 (再生液は塩化リチウム) になっており,下記のようなイオン交換反応が行われます。
Eluent: H+ – ClO4– (HClO4) ⇒ Li+ – ClO4–
Sample: CH3COO– – H+ ⇒ CH3COO– – Li+
このイオン交換反応では完全に解離が抑制されているのではないのですが,溶離液のH+ (極限モル電気伝導度: 430.1) がLi+ (極限モル電気伝導度: 118.7) に変換されますので,バックグラウンド電気伝導度は約70 µS/cm位になります。一方,試料の有機酸のほうもイオン交換反応によりH+ がLi+ に変換されます。一見,試料の電気伝導度が下がって感度が低下するように思われますが,実際には有機酸の感度は増感されます。一塩基酸の酸解離指数 pKa1 は3 ~ 5ですが,1 mM硫酸を用いたときの溶離液pHは大凡3です。つまり,一塩基酸は溶離液中では完全にイオン化していないということになります。
ところが,サプレッサを通過して,溶離液も有機酸もLi+塩になると中性付近になりますよね。つまり,サプレッサを通過させることで,溶離液のバックグラウンド電気伝導度を低減させると共に,有機酸の解離を増加させるという仕組みです。
図12-6に,有機酸サプレッサの機能とサプレストモードで測定した有機酸のクロマトグラムを示します。検出下限は有機酸の種類によって大きく異なりますが,ノンサプレストモードと比べて約10倍程度向上し,20 µL注入でサブmg/L (ppm) の定量が可能となります。
図11-9は,メチルアミン類を含む陽イオンの一斉分離例です。硝酸に18-crown-6を加えてカリウムイオンの相対溶出位置を後ろにするとともに,アセトン (25%) を加えて分離と分析時間の調節を行っています。カラム温度は25ºCで行なっています。
今回から,イオン排除クロマトグラフィの話になりましたが,分離機構に関してお判りいただけましたでしょうか?イオン交換モードとは全く異なる概念なので少し馴染みにくいかもしれませんが,有機酸や無機弱酸の分離には有用な分離法ですので覚えておくときっと役に立つと思います。陰イオン交換モードで有機酸の分離に困った時には,思いもかけない好結果を生み出すことがありますので一度挑戦してみてください。
次回は,イオン排除クロマトグラフィにおける分離の改善についてお話をしようと思っています。
次回もお楽しみに…
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