ここまで,イオンクロマトグラフィで用いられる分離モード (相互作用) についてお話をしてきましたが、シーズン3最終回は,分離モード (相互作用) ではなく,前処理に用いられている相互作用に関してお話することとしましょう。
シーズン3 その拾伍(十五)
「こんにちはぁ~。」
「あっ,ご隠居さん。今日もよろしくお願いいたします。」
「はいはい。これお土産だよ。一段落したところででも皆で食べましょう。」
「いつもありがとうございます。あっ,これ,この間話していた和菓子屋ですか?」
「あぁ。ちょいと早く出て,湯島に寄ってきたんだよ。豆餅と豆大福です。」
「豆餅って食べたことがないんですよ。」
「まぁ,若い子は知らないかもね。餡子のない豆大福,豆大福の皮,って云えばいいかな?結構おいしいんですよ。けど,固くなっちゃうんで,早いうちに食べてくださいね。」
「大丈夫ですよ!明日までなんて,持つわけないですよ!」
「そうだろうね。さぁ~て,今回で一段落ですからね。ちょいと長くなると思うんで,さっさとやっつけちゃいましょう!」
「そうでしたね。もう,プロジェクターも用意してありますから。」
「今日はやけに準備がいいですなぁ。お土産効果かな?」
「そういう訳じゃないですけど,その後に学会のほうの相談もありますし…」
「おぅ,忘れていましたよ。口頭とポスターの両方でしたね。もう出来ているんですか?」
「口頭のスライドは,前月見ていただいたのを少し直しておきました。ポスターのほうは,作っていただいたクロマトグラムを張り付けて,ほぼ完成状態になっています。」
「ほぼですかぁ~。じゃぁ,期待しましょうかね?それでは,始めますかぁ~。」
さて,今回は四方山話シーズンIIIの最終回です。ここまで,イオンクロマトグラフィで用いられる分離モード (相互作用) についてお話をしてきましたね。陰陽イオンの分離に用いられるイオン交換モードと,有機酸・弱酸の分離に用いられるイオン排除モードです。また,分離に寄与している二次効果相互作用にもお話をしましたね。今回は,分離ではなく,前処理に用いられている相互作用に関してお話することとしましょう。今回お話をする分離モードは,既に四方山話シーズンIIIで述べた相互作用なのですが,視点を分離から前処理にして話をいたしますよ。
一般に,試料前処理の単位操作としては,希釈,ろ過,抽出,透析,吸着等があり,イオンクロマトグラフィでも利用されています。しかし,イオンクロマトグラフィの測定対象となる無機イオンや有機酸は実験室の環境中に存在し,試料容器や器具等にも吸着しています。
近年では,高濃度の夾雑成分 (マトリックス) を含む試料中の微量イオンの測定に対するニーズが高まっていますんで,このような試料の測定では前処理操作中での試料汚染が大きな問題となります。そのため,工程数が少ない,容器の使用数が少ない,そして密閉系に近い前処理操作が必要となります。
理想は,完全自動化が可能なインライン前処理法を使用することです。インライン前処理法に関しては以下の論文を読んでいただくこととして,ここでは固相抽出法を用いるオフラインでのマトリックス除去についてお話をしましょう。
* 鈴木清一, 山本喬久, 小林泰之, 井上嘉則: 「イオン分析のためのインライン試料前処理法の構築 (総合論文)」, 分析化学, vol. 68, No. 3, p. 163 – 177 (2019).
https://doi.org/10.2116/bunsekikagaku.68.163
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunsekikagaku/68/3/68_163/_pdf/-char/ja
高濃度マトリックスを含む試料中のマトリックス除去には,固相抽出法 (Solid Phase Extraction: SPE) が用いられます。固相抽出法は,HPLCやGCの前処理 (対象成分の抽出・濃縮,マトリックス除去,分画等) に汎用されています。図15-1に,固相抽出法の基本的な操作手順を示します。
固相抽出剤は,図15-1左に示すようなディスポーザブルカートリッジに充填されており,上下のフィルター (フリット) で保持されています。基本的な操作は,①固相抽出剤の洗浄並びに固相抽出剤の水和状態を調整するコンディショニング工程,②試料溶液を負荷して測定対象成分を抽出する工程,③不要成分の洗浄並びに固相抽出剤の乾燥する工程,④測定対象成分を溶出する工程,の4工程から成ります。通常は,固相抽出剤に抽出された成分を適切な溶離液で溶出後,その溶出液をバイアルで受けて,高速液体クロマトグラフィ (HPLC) やガスクロマトグラフィ (GC) の測定用試料溶液とします。
固相抽出法の基本はお判りいただけたと思いますので,次に固相抽出法においてどんな相互作用 (抽出機構) が用いられているのかについてお話ししましょう。
図15-2は,HPLCと固相抽出で使用されている分離モードの比率を示したものです。
HPLCでも,固相抽出法でも,逆相分配 (RP) モードが最も使われており,次いで順送分配 (NP) モードですね。両者を合わせると,約6割が分配モードということになります。HPLCやGC対象試料が生体試料,食品,医薬品,環境試料等であるため,固相抽出法を用いる有機化合物の抽出,分画,除去には分配モードが有効だからです。
尚,サイズ排除 (SEC) モードは,固相抽出法では使用されていません。
上に述べたように,固相抽出法では有機化合物の抽出,分画,除去に有効な逆相分配モードが最も利用されています。
HPLCではイオン性化合物も測定対象なのですが,イオン性化合物の保持に有効なイオン交換モードは15%程度しか使われていません。有機化合物の場合,イオン性があっても強解離性の化合物は少なく,試料溶液のpH調整で解離を抑制することが可能です。
つまり,pH調整さえすれば,骨格の疎水性を利用して逆相分配モードで抽出,分画,除去することが可能になるのです。また,極性基を有する有機化合物の場合には,順相分配モードにより前処理が行われています。
しかし,イオンクロマトグラフィにおける固相抽出法の様相は大きく異なります。
その理由は,主な測定対象である無機イオンが,水溶性が高く,解離性が高いという点にあります。例えば,イオン交換樹脂を使えば無機イオンや有機酸イオンを捕捉することが可能ですが,溶出させるために塩溶液を用いなければなりません。マトリックスを減らすのが目的で固相抽出を行うのに,塩濃度を高くしちゃうという,本末転倒の結果になってしまいます。また,特定の無機イオンや有機酸イオンだけを選択的に捕捉可能な固相抽出剤もありませんので,上記のような使い方をすることはできません。
イオンクロマトグラフィでは,通常の固相抽出法とは逆の使用方法を用います。つまり,不要な夾雑成分を固相抽出剤に捕捉させて吸着除去し,固相抽出カートリッジを通過した溶液を測定用試料溶液とするんです。この時,測定対象イオンが素通りする,測定対象イオンを捕捉するような相互作用を示さない固相抽出剤を使用しなければなりません。
一般に,イオンクロマトグラフィ用の固相抽出カートリッジは,図15-1に示したシリンジ型ではなく,図15-3左のように上部にもルアー構造の接続部を持っています。これにより,試料採取した注射筒を直接接続できるため,試料容器等による汚染を解消することができます。固相抽出法による夾雑成分の除去操作は簡単です。
図15-3に,基本的な手順を示します。まず,精製したての純水を注射筒に採取し,注射筒の先端に固相抽出カートリッジを取り付けます。その後,加圧して固相抽出カートリッジに純水を10~20 mL通過させて固相抽出剤の洗浄を行います。次いで,試料を満たした注射筒の先端に固相抽出カートリッジを取り付け,加圧して試料溶液を通過させます。固相抽出カートリッジ通過液を使用溶液とするのですが,最初の1~2 mLは廃棄し,その後の溶出液を採取して試料溶液とします。
最初の溶出液を廃棄することで,固相抽出カートリッジからの汚染や固相抽出剤での分配平衡による組成変化を防ぐことができます。
種々の固相抽出カートリッジが市販されているんですが,固相抽出剤からかなりのイオンが溶出してきますので,イオンクロマトグラフィ用の固相抽出カートリッジを使用するようにしてください。代表的なイオンクロマトグラフィ用固相抽出剤と主な用途を表15-1に示します。
表15-1 イオンクロマトグラフィ用固相抽出剤とその主な用途
固相抽出剤 |
主 な 用 途 |
疎水性樹脂 (ポリスチレンゲル等) |
疎水性化合物,高分子,タンパク質等の除去に使用 |
アルキル基結合シリカゲル (ODS等) |
上記と同様の目的に使用。アルカリ溶液には使用不可 |
H+型強酸性陽イオン交換樹脂 |
金属イオンの除去。アルカリ性試料の中和にも使用可能 |
OH–型強塩基性陰イオン交換樹脂 |
強酸性イオンの除去。強酸性試料の中和にも使用可能 |
Ag+型強酸性陽イオン交換樹脂 |
ハロゲン化銀の沈殿生成を利用してハロゲンを除去 |
Ba2+型強酸性陽イオン交換樹脂 |
硫酸バリウムの沈殿生成を利用して硫酸イオンを除去 |
さて,前置きが長くなりましたが,本題の固相抽出法で用いられている相互作用についての話を始めましょう。まずは,疎水性化合物等を除去するための相互作用です。
食品抽出物や廃水等の有機性マトリックスを含む試料を長期間測定し続けていると,溶出時間の減少,理論段数の低下,ピークの変形等のカラム性能の低下が発生することがあります。これは,有機性マトリックスがカラム充填剤に吸着することによって発生するんです。有機性マトリックスのカラム充填剤への吸着機構は主に疎水性相互作用によるものです。
疎水性というのは,水とは馴染めない (親和性が小さい) 性質のことです。疎水性化合物が水中に入っているとすると,水はこれらの化合物を弾こうとし,一方疎水性化合物は水と触れ合う面積を減らそうとして疎水性化合物同士は凝集してしまいます。この疎水性化合物の疎水部位間に働く相互作用を,疎水性相互作用 (Hydrophobic Interaction) といいます。当然ですが,疎水性化合物はより疎水性の高い化合物に引き寄せられて捉まってしまいます。
疎水性相互作用は,HPLCで最も利用されている逆相分配モードにおける主相互作用です。一般に,オクタデシル基のようなアルキル基を導入したシリカゲルを分離剤に,水と極性有機溶媒との混合溶液を移動相に用いて,疎水性を持つ化合物の相互分離を行います。図15-4に,芳香族化合物の分離例を示します。分離剤のアルキル基 (固定相) に対して親和性の高い (疎水性の高い) 化合物程強く保持され,またアルキル鎖長の長い固定相程保持力が強いことが判ると思います。
食品抽出物や廃水等の有機性マトリックスを含む試料中のイオンを測定する場合にはガードカラムの使用は必須なんですが,事前にこれらの有機性マトリックスを取り除いてから測定するというのが基本です。
有機性マトリックスの除去には,疎水性樹脂 (ポリスチレンゲル等) や疎水基結合シリカゲル (ODS等) を充填した固相抽出カートリッジを用います。ポリスチレンゲルは高い疎水性を示すため,疎水性の低い有機化合物や水溶性たんぱく質等も除去することが可能です。
図15-5左は,タンパク質 (牛血清アルブミン,BSA) 水溶液を疎水性樹脂充填固相抽出カートリッジで処理したときの紫外吸収スペクトルです。通過液中にはタンパク質に基づく吸収がまったく見られず,疎水性樹脂充填固相抽出カートリッジで除去できることが判ると思います。
図15-5右は,野菜 (ほうれん草とキャベツ) 抽出液中の陰イオンの測定例です。野菜は可食部を細切し,ホモジナイズ後,加熱して,純水でイオンを抽出しました。加熱は,抽出成分の安定性を確保するために,野菜に含まれる酵素を不活性化するために行っています。
抽出液中には,酵素やタンパク質の他にも,色素や脂質等も含まれていますので,直接注入で測定することはできません。そこで,疎水性固相抽出剤を充填した固相抽出カートリッジに抽出液を負荷して有機性マトリックスを吸着除去し,固相抽出カートリッジの通過液を測定試料とします。但し,野菜の色素は水溶性が高く疎水性樹脂では完全に除去することができないものもあります。そのため,ガードカラムの使用は必須ですよ。また,インラインで有機性マトリックス除去が可能なMetrosep RP 2 Guard/3.5やMetrosep RP 3 Guard HC/4.0を接続しておくというのも良いと思います。
イオンクロマトグラフィで問題となるのは有機性マトリックスだけではなく,イオン性のマトリックスも大きな問題となります。
イオン性マトリックスの除去には,イオン交換樹脂充填の固相抽出カートリッジを用います。イオン交換樹脂の相互作用については本シリーズでお話ししているのでお判りだと思いますが,イオン交換相互作用とイオン排除相互作用が発現します。これらに関しては,改めて説明は必要ないと思いますが,測定対象と同じ荷電を持つイオンを取り除くことはできないということを頭に入れておいてください。
復習ですが,イオン交換樹脂における反応を図15-6に示します。
まず,イオン交換樹脂では中性塩分解反応 (図15-6 a) が生じます。図15-6はH+型の陽イオン交換樹脂ですので,中性の塩化ナトリウムのナトリウムイオンが陽イオン交換反応によって陽イオン交換樹脂に捕捉されて,その代わりに水素イオンが放出されます。塩化物イオンは水素イオンと結びついて塩酸になるんです。
つまり,試料中の高濃度塩化ナトリウムを含む試料をH+型の陽イオン交換樹脂に通液させると,ナトリウムイオンは除去されますが,試料溶液のpHは中性から酸性になってしまうということなんです。試料pHが溶離液pHと大きく異なる場合,溶出時間の短縮やピーク形状の変形が生じることがありますので,溶離液で希釈する等の対応が必要となることを頭に入れておいてくださいね。
イオン交換樹脂におけるもう一つの重要な反応は中和反応です (図15-6 b)。図15-6の場合では,試料中の水酸化ナトリウムのナトリウムイオンが陽イオン交換反応によって陽イオン交換樹脂に捕捉されて,その代わりに水素イオンが放出されます。水酸化物イオンは水素イオンと結びついて水になりますので試料溶液は中性になってくれます。この方法はイオン交換相互作用を主相互作用とするイオンクロマトグラフィにとって非常に有用な方法で,陰イオン分析における塩基性試料の中和と共に,陽イオン分析における酸性試料の中和にも活用できます。反応機構は下記の通りです。
OH–型陰イオン交換樹脂による酸性試料の中和 (陽イオン分析)
├NR4–OH + HCl ⇒ ├NR4–Cl + H2O
H+型陽イオン交換樹脂による塩基性試料の中和 (陰イオン分析)
├SO3–H + NaOH ⇒ ├SO3–Na + H2O
図15-7に,H+型の強酸性陽イオン交換樹脂を用いた高濃度水酸化ナトリウム溶液の測定例を示します。ここで用いた水酸化ナトリウム溶液の濃度は48 w/v%ですので,H+型陽イオン交換樹脂充填固相抽出カートリッジ* では中和しきれません。そこで,JIS K1200-3-2 工業用水酸化ナトリウム−第3部: 塩化物含有量の求め方−第2節: ホルハルト改良法,イオンクロマトグラフ分析方法 (2000) に従い,10倍希釈溶液10 mLに,H+型強酸性陽イオン交換樹脂 (DIAION PK216) 10 gを加えて中和し,上澄を測定溶液としました。水酸化ナトリウム溶液からは,塩化物イオン,塩素酸イオン及び硫酸イオンが検出され,希釈前元液換算濃度はそれぞれ14.27 mg/L,4.65 mg/L及び2.35 mg/Lでした。
陽イオン交換樹脂は,塩基性溶液中で水酸化物やオキシ水酸化物を形成してカラム性能を低下させてしまう重金属イオンの除去にも利用可能です。図15-8右に示すように,重金属イオンはイオン交換相互作用により,H+型強酸性陽イオン交換樹脂に捕捉されて除去されます。
この時,陽イオン交換樹脂充填固相抽出カートリッジからは水素イオンが放出されますので,処理後の溶液は酸性になります。図15-8は固相抽出カートリッジではありませんが,H+型強酸性陽イオン交換樹脂が充填された前処理デバイス (Metrohm SPM Rotor A) を用いて金属除去を行った標準陰イオンを添加した硫酸銅溶液 (500 mg Cu/L) のクロマトグラムで,銅イオンの妨害を受けずに陰イオンを安定して定量可能です。
陰イオン分析では,試料中の高濃度の塩化物イオンや硫酸イオンが大きな妨害となることが多々あります。しかし,同一荷電の特定のイオンだけをイオン交換反応で取り除くことはできません。最後に,このような場合の対策をお話ししておきましょう。
ハロゲン化物イオンの除去には,対イオンを銀型にした陽イオン交換樹脂 (銀カラム) を用います。固相抽出カートリッジ内で,塩化銀の沈殿を生成させて沈殿除去を行うものです。銀カラムによる塩化物イオンの除去反応は図15-9左に示す通りで,海水や食品試料中の高濃度塩化物イオンの除去に有効です。図15-9右に,銀カラムを用いた海水の測定例を示します。20倍希釈した海水を銀カラムで処理しています。塩化物イオンの妨害なしに,微量の亜硝酸イオンと硝酸イオンの電気伝導度検出が可能です。
但し,臭化物イオンも除去されてしまうので注意してくださいね。尚,銀カラムからは,銀イオンや硝酸イオンが溶出してきますので,事前の十分な純水洗浄が必要です。しかし,銀イオンは純水洗浄では完全に除去することができませんし,処理中に塩化銀も漏れ出てくることがありますので,銀カラムの下にNa+型陽イオン交換樹脂充填カートリッジを付けておくのが良いと思います。
最後ということで,ちょいと長くなってしまいました。「ご隠居達のIC四方山話」シーズンIIIは,今回を持ちまして終いとさせていただきます。
シーズンIIIは分離機構・相互作用編ということで,小難しい話をしましたので,若干混乱なさった方もおられたことかと思います。しかし,多くは皆様が日常的な分析操作の中で経験している現象ですので,お暇な時にもう一度読み直していただけると容易に理解できることと思います。多分,実践にも繋がるものと思っていますが・・・
「ご隠居達のIC四方山話」は暫しお休みをいただきますが,四方山話シーズンIVでは,日常の操作における問題解決のためのノウハウを発信していきたいと考えておりますので,今後もお引き立ての程宜しくお願い申し上げます。
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