イオンクロマトグラフィの溶離液へ有機溶媒を添加して陰イオンの溶出時間を調節し、分離を改善する方法をご隠居さんが解説しています。
シーズン3 その睦(六)
「さぁ~て.今日は陰イオン分析における分離の調節の最終回ですよ。」
「ご隠居さん。今日は気合が入っていますね!」
「いつもやる気満々ですよ!こないだ甲府まで行ってきたんで,お土産です。食べましょうか?」
「信玄餅ですか?ありがとうございます。」
「皆さん,甲府っていうと,信玄餅とかほうとうしか知らないんですかね。葡萄や桃,ワインなんてのは有名でしょうけど,他にもいろいろと美味しいものがあるんですよ。あたしは,鮑の煮貝とか,吉田うどんなんかが好きだね。日本橋の丸善の裏っ側に “富士の国やまなし館” ってアンテナショップがあるから暇なときにでも見に行ってくださいな。甲州牛や富士桜ポークなんてのもありますよ。まぁ,今回は焼きまんじゅうですけどもね。」
「へぇ~!そうなんですかぁ。遠州人にとっては,甲州はあまりなじみじゃないんで…」
「ふ~ん。信玄は家康の天敵だからねぇ~。まぁ,いいですよ。さぁ,お菓子を食べたら始めますよ!今回は少し長くなりそうなんで,気合を入れてやらねばなりませんし,その後の呑みもありますし・・・」
ここまで溶離液と温度を変化させると分離が調節できるという話をしてきましたね。第貳話でも話したように,イオン交換モードってのは,イオン交換基と測定対象イオンとの静電的な特性に依存していますんで,分離カラムが決まれば溶出パターンも決まってしまっちゃいます。そのため,実際にはどうやっても分離ができないイオン同士ってのが出てきちゃいますね。
こんな時にはどうするのか?ってのが,今回の主題です。さて,どうしましょうかね?
上の段落に,「分離カラムが固定されてしまうと」と書きましたが,これを裏読みすると,「分離カラムを変えれば」ってことです。要するに,分離がうまくいかないときには分離カラムを変えれば分離できる可能性があるってことなんです。ただ,この場合には,それまで分離していたイオンの分離が悪くなってしまうかもしれません。そこで,2つの分離カラムそれぞれのいいところを利用して分離を達成するため,特性の異なる2つの分離カラムを接続するという方法があります。
図6-1に,異種分離カラムの接続による改善例を示します。親水性基材の分離カラムMetrosep A Supp 7と疎水性基材の分離カラムA Supp 10では,有機酸の溶出順序は同じですが,分離度合いがかなり異なっています。それぞれの分離カラムのカラム長さを長くしても,図に示す7つのイオンを分離させることは困難です。そこで,2つの分離カラムを接続してみると,酢酸とプロピオン酸の分離が若干不十分ですが何とか7種のイオンを分離することができるようになります。
図6-1に示した方法は,一つの分離カラムではどうやっても分離できないイオン間の分離を改善させるために有効な方法です。従って,個性の異なる2つの分離カラムを用意しておくと良いということになります。しかし,ここには大きな問題点があります。何かっていうと,分析時間は2つの分離カラムでの分析時間を足したものになりますんで,かなりの時間を必要とするってことです。上記の例ですと,硫酸イオンは1時間待っても出てきませんのでグラジエント溶出法が必要になりますね。
特定イオンの分離だけを改善するのなら,長いカラムを接続する必要はありません。個性が強いカラムのガードカラムを接続することで分離の改善が可能になる場合もあります。図6-2は,親水性基材の分離カラムに疎水性基材のガードカラムを接続して,硫酸イオンとの分離が難しい亜硫酸イオンの分離の改善を行ったものです。このような方法を用いれば,分析時間を大きく増加させることなく,かつ元カラムの分離パターンを大きく変えることなく特定イオンの分離を改善させることができます。ここで示しました基材樹脂の性質の異なるガードカラムを接続して分離を改善する方法は,疎水性を示すイオンとの分離を改善させるときにも有効ですよ。
分離カラムの種類によって溶出パターンが異なる要因は,イオン交換相互作用 (静電相互作用) 以外の効果によるものです。この点に関しては話が長くなりますので細かなことは別の機会にしますが,主に基材樹脂の材質,イオン交換基の構造と疎水性,イオン交換基の導入方法と密度,などが影響しているとされています。
これらのことを逆の視点で見てみると,分離システム中にこれらと同様の相互作用を加味する,あるいはこれらの要因を打ち消す,ことができれば,溶出パターンを変化させることが可能ってことになりますよね。例えば,溶離液中に有機溶媒を添加すれば,測定対象イオンと有機溶媒間の相互作用が発現して分離が変化するはずです。当然,有機溶媒中ではイオンの水和状態が変化しますので,疎水性相互作用をはじめ,上記に挙げた要因の影響も変化するかもしれません。
ということで,やっと前回に予告しておいた,溶離液への有機溶媒の添加の話になります。
まずは,溶離液にメタノールを添加したときの陰イオンの溶出挙動から見てみましょう。メタノール濃度が高くなれば,二価イオンであるリン酸イオンと硫酸イオンの溶出時間が大きくなり,イオン間の分離は拡がっていきます。一方,一価のイオンの溶出は僅かですが早くなっていますね。この理由はイオンの水和状態の変化によるものと考えてよいと思います。ただ,メタノール濃度が高くなるにつれてピーク高さが小さくなっています。これは,メタノールとの会合によって見掛けのイオン性が低下しているためです。ですが,イオン性を持たないメタノールであっても,溶離液濃度を変化させた時と同じように溶出力を変化させることができるというのがお判りいただけたと思います。
分離カラムにおける溶出パターンの差異はイオン交換相互作用以外の要因であるといいましたが,分離カラムが変われば,基材樹脂の材質,イオン交換基の構造と疎水性,イオン交換基の導入方法と密度,なども異なっていますので有機溶媒の影響度合いも異なるはずです。そこで,別のカラムでのメタノールの影響を見てみましょう。図6-4はMetrosep A Supp 7で測定した例です。基本的な動きは図6-3のMetrosep A Supp 4と同じですが,有機溶媒の添加による効果の度合いが異なっていることが判りますよね。
ここまでメタノールによる影響を見てきましたが,溶離液に添加できる有機溶媒は,「水と完全混和する極性有機溶媒」ですので,メタノール以外の有機溶媒も添加可能です。一般には,メタノールのほか,アセトニトリルやアセトンが用いられます。それぞれ特性が異なり,溶解パラメータSP値は14.5,11.9及び9.9です。また,オクタノール-水分配比Log Pは,それぞれ-0.77,-0.34及び-0.24で,水によく溶けることが判ります。これらの値から,3つの有機溶媒の極性は,メタノール > アセトニトリル > アセトンの順となります。当然,脂溶性 (疎水性) はこの逆になりますね。これだけ物性値が異なっていれば,溶離液への添加による溶出への影響度合いは異なってくるはずです。
そこで,これら3つの有機溶媒を溶離液に添加した時の溶出パターンの違いを見てみましょう。硫酸イオンの溶出時間はメタノール > アセトニトリル > アセトンの順で,極性の順番と一緒です。これは陰イオンへの会合性 (水和性) の順序と同じで,多価陰イオンの溶出調節にはメタノールが最も効果的だといえるかもしれません。
ここまで,溶離液への有機溶媒の添加による標準的な陰イオンの溶出時間への影響を見てきましたが,もう少し別の視点から有機溶媒の影響を見てみましょう。
抑々,有機溶媒は水では溶解しない有機化合物の溶解に用いる溶媒です。従って,水溶性の高い陰イオンとの相互作用はあまり大きくないといえます。しかし,上記の結果ではかなり溶出時間が変化していました。これは,何度も書きましたが陰イオンとの会合性 (水和性) によるものと理解できます。しかし,イオン交換樹脂の基材樹脂は有機化合物 (高分子) ですので,これら有機溶媒が基材樹脂と相互作用したことが陰イオンの溶出に多少なりと影響していると推定されます。この推論から云うと,有機溶媒と相互作用しやすい基材樹脂,例えばポリスチレンゲルを基材樹脂とする陰イオン交換樹脂だともっと変化が大きいと推測されます。
ということで。ポリスチレン基材のMetrosep A Supp 17で溶離液に添加したメタノールの影響を見てみました。どうでしょうか?図6-3のMetrosep A Supp 4と図6-4のMetrosep A Supp 7は合成方法が異なっていますが,基材樹脂は共に親水性のポリビニルアルコールです。疎水性基材樹脂を利用したMetrosep A Supp 17のほうが,有機溶媒による変化が大きいというのがお判りでしょうか。
ここまでのことから考えると,溶離液への有機溶媒の添加は疎水性イオン (シーズンIII 第伍話参照) の分離の調節に有効じゃないか,ってことが推察されますよね。
ということで,疎水性イオンの代表格であるチオシアン酸イオンSCNと過塩素酸ClO4の溶出挙動を見てみました。分離カラムはポリスチレンゲルを基材樹脂としたMetrosep A Supp 15で,溶離液にアセトンを添加しています。添加する有機溶媒としてはメタノール,アセトニトリル,アセトンが使用されると云いましたが,疎水性イオンに対して最も親和性の高いと推定されるアセトンを用いています。
結果は御覧の通りで,親水性のイオンに対しては大きな影響は与えませんが,疎水性イオンはアセトン濃度の増加につれて溶出が急激に早くなっています。疎水性相互作用の低減,ってことですな。
この手法は,Metrosep A Supp 15だけでなく,ポリスチレンゲルを基材樹脂とした陰イオン分離用カラムであるMetrosep A Supp 10,Metrosep A Supp 16やMetrosep A Supp 17で疎水性イオンを含む試料を測定するときに有効な手法となりますよ。
溶離液への有機溶媒の添加は,分離が難しい多価イオンや疎水性イオンの分離の改善策として有用な方法です。標準的な陰イオン以外での有機溶媒添加の有効例をチョットだけお見せしましょう。
図6-8の左は,図6-2で異種ガードカラムの接続で分離を改善した硫酸イオンと亜硫酸イオンの分離例です。溶離液にアセトニトリルを添加することにより亜硝酸イオンのピークが検出されていますが,このままではカラム長さを大きくしても完全分離は困難です。そこで,溶離液に添加する有機溶媒をアセトンに変更することで,短いカラムでも完全分離を達成することができるようになります。図6-8の左は,疎水性が非常に高いヘキサフルオロリン酸イオンを含む陰イオンの分離例です。親水性の分離カラムを用いて,アセトンを30%添加することにより短時間での分離を達成しています。
ご隠居達のIC四方山話 シーズン-IIIの主題は,「分析条件によるイオンの分離の改善」なんですが,溶離液への有機溶媒の添加はイオンの分離改善というだけじゃなく,もう一つ有益な使い方があります。試料中に含まれる疎水性成分の分離カラムへの吸着・蓄積への対策です。
前処理をきちんとやったつもりでも,試料中に有機物が残存していて,未知ピークが出現したとか,連続測定中にカラム性能が劣化した,なんてことがよくあります。また,試料汚染を最小限に抑えるため,煩雑で工程数の多い前処理は使用できないってこともありますね。そのような場合には,溶離液に有機溶媒を添加しておくと,試料中の有機物による影響を低減することができます。
図6-9は,ダイアリシス法で前処理した有機物を多量に含む試料中の陰イオンの測定例です。ダイアリシス法では,高分子や脂溶性成分との分離が可能ですが,水に溶解性・親和性を示す低分子有機物が入り込んでしまう可能性があります。水溶性の高い成分だけならいいんですが,時には疎水性有機物も含まれてしまうこともあります。
図6-9の左は色素中の陰イオンの測定例ですが,招かれざる有機物の混入に対応するため溶離液に10%のアセトンを添加しています。一方,図6-9の右は食品中の保存料の測定例です。食品保存料は芳香族系化合物で疎水性を示しますので,これらの成分の分離を達成するために溶離液に60%のアセトニトリルを添加して分離を行っています。
どうでしたか?溶離液への有機溶媒の添加効果がお判りいただけたでしょうか?有機溶媒の添加は,一般的な分析条件の変更よりは煩雑で面倒くさいんですが,溶出パターンを大きく変化させることができますんで,どうやっても…って時には是非とも試してみてください。ただ,溶離液の添加により,ピーク高さやベースラインノイズが変化しますので,再現性や検出下限などはきちんと評価してから実際の測定を開始してくださいね。
今回は陰イオン分析における分離の改善の最後でしたが,次回からは,陽イオン分析における分析条件による分離の改善について話をさせていただきます。
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