前回の続きです。試料容器からのイオンの溶出や容器へのイオンの吸着がイオンクロマトグラフィのピーク面積値の変動に与える影響についてお話ししています。
シーズン4 その拾肆(十四)
こんにちはぁ~。皆さんお元気ですかぁ~?
こちらは相変わらず腰が重いですね。前回ご報告した通り,整形病院通いをはじめてリハビリをしています。手の痺れのほうは飲み薬で収まっている状態ですね。まぁ,歳の性ってのもあるんですが,自宅作業で座りっぱなしが根本原因なんだそうです。元来,体が硬いのですが,座りっぱなしでさらに固くなっちゃって,腰と首がやられちゃったんですよ。けど,相変わらず ”TV会議” は次々と設定されちゃう状況ですので,首の張りや腰の痛みは当分治りそうにはないなぁ・・・
前回は調製ミスや環境汚染が原因となるピーク面積の変動についてお話しをしました。イオンクロマトグラフィにおけるピーク面積の変動の根本原因は,測定対象が身近にかつ比較的高濃度で存在しているからということは十分お判りいただけたと思います。しかし,トラブルの現象も発生経緯も多種多彩でいつも対応に苦慮するんです。ということで,このピーク面積の変動というテーマはどのくらい続くのか,書こうとしている当事者でも全く読めないんです。ということで,過去のトラブルを思い出しながらの話をしていきたいと思います。
前回,ピーク面積の変動は,計量ミスだけでなく,揮発性試薬による直接的な汚染や,室内空気中のガス状成分の吸収等によっても発生することを話しました。このことは,測定環境中で計量器や試料容器の汚染が生じると,それらによって試料汚染が引き起こされてしまう可能性があります。
まず,試料容器からの試料汚染ですが,容器材質そのものからイオン性成分が溶出するケースと,試料容器表面に吸着しているイオン性成分や粉塵が試料溶液に溶解するケースの2つが考えられます。一般に,ガラスからは,ガラスの構成成分であるナトリウムイオン,カルシウムイオン,ケイ酸イオン,ホウ酸イオン等が溶出してきます。また,ヒ素 (ヒ酸イオン) や重金属等も溶出することもあります。一方,樹脂 (プラスチック) の主成分は水には溶けませんので,イオンクロマトグラフィでは主に樹脂製容器を用います。但し,フッ素樹脂は,成形時における分解生成物からフッ化物イオンや有機酸イオンが溶出してくる可能性があります。尚,多くの汎用樹脂には可塑剤や酸化防止剤等の添加剤が添加されていますが,耐酸・耐アルカリ,耐有機溶媒としている理化学用の樹脂製容器や樹脂製計量器は,添加剤を用いていない,あるいは添加剤が非常に少ない材質で製造されています。樹脂製チューブについても同様ですので,必ず理化学用のものを使用するようにしてください。
樹脂製容器や器具の場合は材質そのものからの溶出よりも,容器表面に吸着・付着しているイオン性成分や粉塵等が大きな問題となります。図14-1及び表14-1に,樹脂製容器からのイオンの溶出を評価した結果を示します。市販されている樹脂製容器に採取したての超純水を口まで満たして蓋をして密閉し,一晩放置した後に容器内に封入した超純水を測定しました。ポリエチレン (PE) 製容器からは数十µg/Lものイオンが溶出しました。特に,塩化物イオンとナトリウムイオンの溶出量が高く,ガス状物質による汚染というよりも,容器表面の粉塵や汚れが原因と推定されます。ここまで溶出量が高いとmg/L (ppm) レベルの測定でも再現性が問題となってしまいます。一方,ポリプロピレン (PP) 製容器からの溶出は少なく,一桁µg/Lの塩化物イオンが検出されただけでした。これならば,少し洗浄するだけで10 µg/Lの塩化物イオンの測定に使用できそうです。イオンの溶出量は製造・成形方法や保管状態に依存しますが,これまでの経験ではポリプロピレン (PP) 製容器からのイオンの溶出は少ないという結果になっています。また,これも経験的判断なのですが,蓋と容器が組み上げられて納品されるもののほうが,蓋と容器がバラで納品されるものよりも汚染度が低い傾向にあります。ということで,組み上げられたポリプロピレン (PP) 製容器を使用してくださいね。
樹脂製容器からのイオンの溶出に関しては,公知の論文 (石井直恵: 分析化学, Vol. 60, No. 2, p. 103 ~ 113 (2011).) にも報告されています。 表14-2に,論文に掲載されたポリプロピレン (PP) 製,ポリテトラフルオロエチレン (PTFE) 製,ポリスチレン (PS) 製容器の評価結果を示します。 各容器に,採取したての超純水を容器の口まで満たして蓋をして密閉し,採取後6時間放置した後,容器内に封入した水中の陰イオンを濃縮カラム法で測定したものです。 この報告においても,ポリプロピレン (PP) 製容器からの陰イオンの溶出は最も少なく,イオンクロマトグラフィにはポリプロピレン (PP) 製容器が適していると判断できます。
樹脂製容器の汚染度は,材質や形状,メーカーにより異なりますが,いずれのものも購入したものをそのまま使用するのではなく,事前に洗浄した後に使用しなければなりません。洗浄方法は第拾貳話で示した超純水採取容器及び洗瓶の洗浄方法を参考にしてください。尚,我々が用いている樹脂製容器の洗浄方法を下記に示します。
① 中性洗剤を用いて樹脂製容器内部及び表面の汚れ (油分や成形用離型剤等) を洗い落とします。蓋も同様に洗浄した後,流水で中性洗剤を洗い落とします。
② 純水を用いて,洗剤をきれいに洗い流します。流水で洗い流しにくい場合もありますので,その場合には漬け込み洗浄します。
③ 樹脂製容器及び蓋を,純水を満たした大型容器 (純水で洗浄した蓋付きバケツ等) に入れて浸漬します。
④ 2~4日浸漬後,樹脂製容器及び蓋を取り出し,純水で綺麗に濯ぎます。
⑤ 大型容器の純水を入れ替え,再度樹脂製容器と蓋を浸漬します。
⑥ 約1週間浸漬後,樹脂製容器及び蓋を取り出し,採取したての超純水で濯ぎ,樹脂製容器内に採取したての超純水を満たし,超純水を溢れさせながら蓋をして,純水を入れ替えた大型容器中で浸漬保管します。
⑦ 使用時は,樹脂製容器内に封入した超純水を捨て,2 ~ 3回採取したての超純水で濯ぎ洗浄を行い,試料溶液で共洗いした後に試料溶液を入れます。
※ ⑥の工程で,超純水を封入した樹脂製容器は室内で保管することも可能ですが,樹脂製容器はガス透過性ですので,純水を満たした大型容器中で純水封入・密栓状態で浸漬保管するのが好ましいと思います。
オートサンプラ用バイアルも,樹脂製のバイアルを用いるのが好ましいと思います。Metrohm 858 Professional Sample Processorにはポリプロピレン (PP) 製のSample tube (11 mL) を用います。一方,微量試料の注入が可能なMetrohm 889 IC Sample Centerでは,HPLCやGCで用いられている汎用の公称径12 mm (ⲫ11.6 mm) のガラス製バイアル (ネジ口規格:9-425) を用いることができます。しかし,上述したように,ガラスはイオンの溶出や吸着の問題があるため,ガラス製バイアルはイオン分析には適していません。
図14-2に,サンプルバイアルにおけるイオンの溶出及び吸着を評価した結果を示します。ガラス製及びポリプロピレン (PP) 製バイアルに,1 mg/Lのアンモニウムイオン標準液を入れて一晩放置後測定しました。ガラスバイアルでは,mg/Lレベルのナトリウムイオンの溶出が確認され,アンモニウムイオン濃度の減少が観察されました。図14-2右に,ガラス表面でのイオンの溶出・吸着機構の概念を示します。ナトリウムイオンはガラスの主成分であり,水と接触することにより溶出してしまいます。一方,アンモニウムイオンは,ガラス表面のシラノール基にイオン交換的に吸着し,溶液中の濃度が低下してしまいます。これらの現象は樹脂製のポリプロピレン (PP) 製バイアルでは生じることはなく,ナトリウムイオンは検出されず,アンモニウムイオンの減少もありません。
ガラス容器を使用する場合には,ガラスの主成分であるナトリウムイオンが溶出し,ガラス表面にアンモニウムイオンが吸着するということなのですが,これはイオン交換現象そのものです。下式のように,ナトリウムイオンはNaOHとしてガラス表面から放出されます。カルシウムイオンもCa(OH)2として放出されますので,溶液のpHは僅かですが上昇します。陽イオンが溶出してしまうと,シラノール基 (−SiOH) になり,フリーになったシラノール基には新たに陽イオンが吸着するということになります。
⊢Si−O−Na + H2O → ⊢Si−O−H + NaOH
(シラノール基)
このことは,微量陽イオンの測定においては,採取容器や計量器にはガラス製品を使用してはならないということを意味しています。従って,μg/L (ppb) レベルの試料調製には計量器も含めて樹脂製のものを使用するようにしてください。
但し,河川水や湖沼水,廃水等の実試料の採取にはガラス製容器を使用しても大きな問題となることはほとんどありません。一般に,環境水等の水試料中には,アルカリ金属イオンは数十mg/L以上,アンモニウムイオンは数mg/L以上入っていますし,その他のイオンや数多くの有機物が共存しています。そのため,丁寧に洗浄した容器を用いれば,溶出や吸着による影響はほとんどないといってよいでしょう。採取容器の洗浄方法は第拾貳話に述べた通りですが,試料採取まで超純水を封入しておいてください。採取時に封入した超純水を廃棄し,採取する液で共洗いした後,試料採取してください。尚,採取時に最終濃度が5 ~ 10 mMになるように硝酸を加えておけば,アンモニウムイオンの吸着を抑えることができます。但し,ナトリウムイオンの溶出量が増加する恐れがありますので,併行して硝酸無添加の試料も採取しておくようにしてください。
尚,微量金属用分析の計量器や試料容器は1 ~ 2 Mの硝酸で洗浄していると思いますが,ガラス表面はシラノール基になっていますので陽イオンが吸着しやすくなっています。従って,低濃度の標準液や試料の調製には適していませんので,金属分析用とイオンクロマトグラフィ用とは共用・混用しないようにしてください。何度も言いますが,微量イオン測定用の計量器や試料容器は樹脂製が基本ですのでお忘れなく。
今回は,試料容器からのイオンの溶出や容器へのイオンの吸着がピーク面積値の変動に影響していることをお話ししました。試料容器からのイオンの溶出,あるいはイオンの吸着といった問題を防ぐために,イオンクロマトグラフィでは耐薬品性の高い樹脂製容器が用いられます。しかし,樹脂製容器だからといって安心してはいけません。何度も言いますが,イオンクロマトグラフィの測定対象は身近に存在するイオンや有機酸です。従って,製造時や保管されている間に容易に容器汚染が発生してしまいますので,トラブルを引き起こさないように適正な取り扱いをしてくださいね。
それでは,また・・・
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