イオンクロマトグラフで、遅く出てくる成分が妨害ピークとなって測定の障害になることがありますよね。なかなかピークが出てこない測定の際の対処方法について、ご隠居さんが解説しています。
シーズン2 その拾貮(十二)
「ごめんくださいよ~。泰さんはいますかね?」
「あぁ。ご隠居さん。番頭さんは今出ていますが,もうすぐ帰ってきますよ。」
「喬さんか。じゃぁ,待たせてもらいましょう。これお土産。こないだ,泰さんにいいもの貰ったんで…」
「ありがとうございます。おっ!羽二重団子ですかぁ~。日暮里で仕事だったんですか?」
「いや,今日は泰さんと打ち合わせだよ。羽二重団子は,久々に食べたくなったんでね。」
「お持たせですみませんが,早速いただきましょう。みんなを呼んできます。」
「ところで,今日は装置がフル稼働だね。」
「そうなんですよ。依頼が結構重なっちゃって…。そうだ,一寸,データを見てくれますか?」
「ああ,いいですよ。う~ん。何時食べても羽二重団子は美味いねぇ~!で,話は?」
「昨日の夜,連続で仕掛けて帰ったんですが,今朝見たら妨害ピークがきれいに被っちゃって…」
「ほぉ~。こりゃ,前の残りだね。まず間違いないよ!以前に話した (ご隠居達の四方山話 シーズンI 第参話) ように注入のタイミングをずらすってことじゃ駄目なんかい?」
「出てくる時間が悪いんですよ。タイミングをずらしても,被っちゃいますよ。この遅く出る成分って固相抽出じゃ抜けないんですかね?可能性があるんなら,Metrosep RP Trap 2を使ってインラインマトリックス除去をやってみようと思っているんですが…」
「う~ん,難しいね。固相抽出で取れるのもあるけど,このピークは陰イオンのような気がするね。」
「じゃ,フラッシュアウトで押し出しですか?あるいは,有機溶媒でも入れましょうか?」
「一概には云えないんだよ。遅く出てくる成分の対処策にはいろんな手立てはあるんだが,正直,やってみなきゃ判らないってのが本音だよ。じゃ,番頭さんが帰ってくるまで,少し話をしましょうかね。そうそう,番頭さんの分の羽二重団子,残してやってくださいね!ラップもかけておいてね!」
今回の課題は,遅く出る成分ですね。この問題に関しては,ご隠居達の四方山話 シーズンI 第参話にも書いてあるんで,後で見ておいてくださいね。問題の試料に標準陰イオンを添加した模擬試料を用いて,測定時間を長くして測定して貰ったものが下のクロマトグラムです。確かに,出てくる時間が悪いんですね。確実に2回目の注入で重なってしまいますんで,妨害ピークを避けて注入するってのはどうやっても無理ですね (赤線のクロマトグラム)。
さて,遅く出てくる成分への対応ですが…
まず固相抽出法から考えてみましょう。ご隠居達の四方山話 シーズンII 第捌話に書きましたように,疎水性の有機物であれば疎水性樹脂を充填した固相抽出カートリッジを通せば吸着除去できます。そして,固相抽出カートリッジからの通過液を測定試料とすればいいんです。これでうまく行けば,疎水性樹脂を充填した除去カラムを利用するインラインマトリックス除去法でも対応可能です。インラインマトリックス除去なら,連続測定もできますし,試料汚染なんかも気にしないで済みます。
ここで問題です,除去したい成分がイオン性であった場合,固相抽出法で対処できるでしょうか?
疎水性のイオンも多少は疎水性樹脂に吸着するんですが,保持が弱いため完全に除去することはできません。そこで,イオン交換樹脂を充填した固相抽出カートリッジの登場です。イオン交換樹脂であればイオン性成分を確実に吸着可能なんですが,測定対象イオンも捉まってしまいます。溶出するにも塩溶液を用いなければなりませんし,先に溶出する測定対象成分だけを分画するってのも容易じゃありません。ということで,固相抽出法での対応はできない,非現実的ということです。
実際,上のクロマトグラムで,遅く出る成分は三角定規みたいな極端なテーリングピークですね。見た目で判断しちゃいけないんですが,恐らく価数が大きいか,疎水性の強いイオンだと思います。一般に,疎水性有機化合物だとするとぼてっとした丸っこいピーク形状になることが多いんです。
前回,前々回とインライン前処理の話をしましたんで,少し話を展開しておきましょう。
イオン交換樹脂充填固相抽出カートリッジを用いての分画は難しいと書きましたが,図2のようなシステムを用いると分画が可能となります。4方あるいは6方の切り替えバルブを用い,長さの短い分離カラム (A) と主分離カラム (B) とを切り替えバルブを介して接続しておきます。ここに試料を注入して分離をします。測定対象成分が分離カラム (A) から溶出し切ったところで,切り替えバルブを切り替えます。この操作によって,溶出の遅い成分は主分離カラム (B) には導入されないので,測定対象成分だけを分離検出することができます。分離カラム (A) に残った溶出の遅い成分は,主分離カラム (B) での測定中に分離カラム (A) から洗い出されてしまいます (図3)。このような方法は,“Column switching法”,あるいは “Heart-cut法” と呼ばれています。
溶出の遅い成分を測定しなくていい場合のもう一つの対処策は洗い出しですね。“Flush-out” なんて云います。測定対象成分が溶出し終わったところで濃度の高い溶離液に切り替えて,邪魔な奴を洗い出してしまえばいいんです。先のクロマトグラムの場合では,18 minで高濃度の溶離液に切り替えればいいと思います。図4にその対処例を示しますが,左は溶離液の電気伝導度変化で,右が3回のテスト結果です。再現性は良好なんですが,この方法には一つ問題があります。高濃度の溶離液に切り替えてしまうんで,元の溶離液にきちんと戻ってからじゃないと次の試料が打てません。初期条件に戻ったかは,バックグランド電導度をモニターすれば判ります。けど,洗い出しの溶離液農度が高すぎると初期条件への戻りが悪くて,問題のピークが出切るのをじっと待つよりも,初期条件に戻るのに結構な時間がかかってしまうなんてこともあります。
遅く溶出する成分も含めて一斉に測定したいという場合には,グラジエント溶離法ですね。グラジエント溶離 (gradient elution) というのは,「 移動相 (溶離液) の組成を連続的に変化させながら溶質を溶出させる操作。勾配溶離ともいう。」 (JIS K K0214: 2013分析化学用語) です。HPLCでは結構おなじみの方法ですが,カラムやサプレッサの性能が向上したお陰でイオンクロマトグラフィでもしばしば利用されるようになってきています。イオンクロマトグラフィでは溶離液の組成というよりも,溶離液の濃度を時間経過に伴い連続的に高めていき測定対象成分を溶出させます。
通常の定組成溶離 (イソクラティック溶離 [isocratic elution]) では,溶出の早い成分の分離を改善するには溶離液濃度を低くしますが,溶出の遅い成分はカラムに残って,次の測定に妨害したりします。逆に,溶出の遅い成分の分離を改善するには溶離液濃度を高くしますが,この場合には溶出の早い成分の分離を確保することができません。ところが,グラジエント溶離では,低濃度溶離液から徐々に溶離液濃度を高めていきますので,溶出の早い成分の分離も溶出の遅い成分の分離も同時に達成することができます。グラジエント溶離を用いた多成分一斉分離の例を図5に示します。このクロマトグラムは,炭酸ナトリウム濃度の変化で測定しましたが,水酸化ナトリウムや水酸化カリウムを溶離液として濃度変化をさせることでも対応可能です。
このグラジエント溶離法では最終的に高濃度の溶離液を流すことになりますんで,Flush out法と同様に,初期溶離液に完全に戻ってからじゃないと次の試料が打てません。特に,初期濃度が低く,最終濃度が高い (例えば,初期濃度: 2 mM Na2CO3,最終濃度: 50 mM Na2CO3) 場合には,初期条件に戻るのにはかなりの時間がかかりますんで,慌てて試料注入をすると溶出の早い成分の分離が損なわれてしまいますし,再現性も確保することはできません。
上のクロマトグラムを見る限り銅イオンの影響がないように見えます。実際に繰り返し測定した時でも,ピークの変形や保持時間の減少等の影響は見れませんでしたが,銅イオンが完全に除去されていなければ長期間の測定でカラム性能の低下が生じてしまいます。そこで,金属イオンの800 ppm溶液 (試料注入量: 20 µL) を金属除去デバイスに通し,その通過液を回収してボルタンメトリーで測定してみました。尚,ボルタンメトリーにはメトロームさんの797 VA Computrace (下写真) を用いました。金属除去率の結果を表2に示します。どうですか?金属除去デバイスでの金属除去率は100%です。これならメッキ液や金属処理剤等の中の陰イオンの測定ができますよね。
最後に,溶出の遅い成分を確実に測定したい場合の対処策です。
HPLCで最も利用されている逆相分配クロマトグラフィでは,溶離を早める時には溶離液中の有機溶媒濃度 (組成) を高めます。有機溶媒の添加により,固定相との相互作用を弱めて溶出を早めるんです。イオンクロマトグラフィでも溶離液に有機溶媒を添加することにより溶出の遅い成分の溶出を早めることができます。ただ,溶出が早くなる機構はHPLCとは異なっていますので,すべての陰イオンの溶出がただ単純に早くなるって訳じゃありません。
溶出の遅いイオン種は疎水性イオンと呼ばれていますが,必ずしも有機化合物で云われる疎水性相互作用が強いという訳じゃありません。疎水性有機化合物と同様に,保持が強く,有機溶媒の添加で溶出が早まるんでこう呼ばれています。また,ポリスチレンゲルのような疎水性基材のイオン交換樹脂には強く保持される傾向にありますんで,これも疎水性イオンと呼ばれる所以でしょうね。
疎水性イオンと呼ばれる陰イオンとしては,ヨウ化物イオン (Iー),チオシアン化物イオン (SCNー),過塩素酸イオン (ClO4ー) 等が挙げられます。これらのイオンは,水和能が乏しく,イオン交換基と直接会合する特性があるため溶出が遅くなります。また,イオン交換基からの脱離速度が遅いため,図1に示した溶出の遅い成分と同様に極端なテーリングピークとなります。このような成分を含む試料を測定する場合,溶離液に有機溶媒を添加することで,これらのイオンの保持を早めるだけじゃなく,ピーク形状を改善することができます。
図6に,チオ硫酸イオン,チオシアン化物イオン,過塩素酸イオンを含む陰イオンの分離における有機溶媒 (アセトン) の効果を示します。図で明白なように,アセトン濃度の増加に連れてチオシアン化物イオンと過塩素酸イオンの溶出が早くなります。また,ピーク形状もテーリングが小さくなる傾向が見られています。硝酸イオン溶離前に溶出する陰イオンも,溶出が早くなっています。逆に,リン酸イオン,硫酸イオン,チオ硫酸イオンはアセトンの濃度の増加につれ保持が増加する傾向にあります。この結果から,適切な有機溶媒濃度設定することにより,標準的な溶離条件では溶出が遅い成分と一般的な陰イオンを同時に,かつ短時間で測定することが可能となります。尚,溶離液への有機溶媒の添加により,ウォーターディップが大きくなりますんで,カラムによっては有機溶媒を入れすぎるとフッ化物イオンの定量性が低下してしまいますんで注意してください。
溶離液に有機溶媒を添加することによって,分離を改善できた例をお見せします。
図7に,ヘキサフルオロリン酸イオン (PF6) と一般的な陰イオンの同時測定例を示します。ヘキサフルオロリン酸イオンは,ヘキサフルオロリン酸リチウムの形で使用されるリチウム/リチウムイオン二次電池の電解質の主要構成成分です。ヘキサフルオロリン酸イオンは非常に保持が強く,極端なテーリングピークを示します。そこで,炭酸ナトリウム濃度を高めると共に,アセトンを30%添加することにより,短時間に一般的な無機イオンとの同時分離を達成しました。
どうですか?溶出の遅い成分への対応は判っていただけましたかな?
溶出の遅い成分を前処理で簡単に取り除けりゃいいんですが,溶出の遅い成分がすべて有機化合物って訳じゃないんで,一概にこれだっていう対策をあげることはできないんですよ!今回の問題は,溶出時間とピーク形状から見てチオシアン化物イオンじゃないかなって思うんですよ。ということで,溶離液にアセトンでも添加して溶出を早めるのがいいんじゃないかなって思っていますが…
話が長くなりましたが,何とか終わりましたね。丁度,泰さんが帰ってきたみたいですね。今日は,次のコラムシリーズの主題をどうするのか相談しましょうと泰さんに云われて来たんですよ。
あっ!皆様方には何も話していませんでしたね。突然の話ですみません。
前処理に関してはもっと話したいことがあるんですが,だらだら続けているとよくないってんで,泰さんと相談して,12回毎に区切ろうってことにしてるんですよ。ということで,「ご隠居達の四方山話 シーズンII」は今回 (第壱弐話) を持って幕を下ろします。
尚,「ご隠居達の四方山話」は今後も続けていこうってことになっていますんで,「ご隠居達の四方山話 シーズンIII」を近々開幕したいと思っています。眼目・主題はこれから泰さんと呑みながら相談です。喬さんも一緒に行きますかね?清さんは忙しそうだけど,さっさと仕事を終えて来てださいな。いろいろとご意見を聞かせて欲しいんですから…
それでは,また皆さんとお会いできることを楽しみにしています…
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※本コラムは本社移転前に書かれたため、現在のメトロームジャパンの所在地とは異なります。
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